吉原神社のご紹介
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御祭神

 吉原神社は、かつての吉原遊廓にお祀りされていた五つの稲荷神社と遊廓に隣接する吉原弁財天の合計6つの神社(神さま)がおまつりされており、それぞれ以下の御神徳をお授けくださいます。なお吉原弁財天は吉原神社と吉原弁財天本宮の2ヶ所におまつりされています。

九郎助稲荷(縁結び・五穀豊穣・所願成就の神さま)
「吉原大全」九郎助稲荷の事(明和5年・1768)
飢饉うちつづきける時、人々より集り、此神へ立願せしかば納受ありて年ゆたかなりけり。是よりいよいよ神威をまし、所願成就せずといふ事なし(中略)今よし原にて、えんむすびの神として立願す
吉徳稲荷(縁結び・家内安全・商売繁盛・五穀豊穣の神さま)
榎本稲荷(家内安全・商売繁盛・五穀豊穣の神さま)
明石稲荷(火災除け・町内安全の神さま)
開運稲荷(開運・幸運・幸福を招く神さま)
吉原弁財天(開運・財運・歌舞音曲芸能上達・弁舌の神さま)
御由緒

 当社は吉原遊廓とともに歩んできた神社です。吉原遊廓は元和3年(1617)、幕府の許可を得て庄司甚右衛門が江戸市中に散在していた遊女屋を日本橋葺屋町(ふきやちょう)の東隣(現在の日本橋人形町周辺)に集めたことにはじまります。この地には葦(よし)が生い茂っており、そこから「葦原」、転じて「吉原」と命名されました。しかし次第に吉原が江戸の中心地になってしまったため、明暦3年(1667)に当時は竜泉寺村とよばれていた現在地に移転となりました。以後、日本橋葺屋町付近にあった頃の吉原を「元吉原」、移転後の吉原を「新吉原」といいます。
 この「新吉原」には廓の守護神として五つの稲荷社が存在しました。吉原の入口である大門(おおもん)の手前に「吉徳稲荷社」、さらに廓内の四隅には「榎本稲荷社」「明石稲荷社」「開運稲荷社」「九郎助稲荷社」がお祀りされていました。
 その後明治14年に、これら五つの稲荷社が合祀され、総称して吉原神社と名付けられました。当初は吉徳稲荷社旧地にお祀りされていましたが、関東大震災にて焼失。震災後は水道尻付近の仮社殿にてお祀りしていましたが、昭和9年に現在地へ新社殿を造営、そのさい新吉原隣接の花園池に鎮座する吉原弁財天も合祀しました。その後昭和20年の東京大空襲で惜しくも焼失しますが、昭和43年に現社殿が造営されて現在に至ります。

下記は『新吉原之図』(国立国会図書館蔵)に見る新吉原。入口と四隅に稲荷社が祀られていました。
 吉徳稲荷社   榎本稲荷社   明石稲荷社   開運稲荷社   九郎助稲荷社
『今戸箕輪浅草絵図』
祭礼

毎年5月第3金・土・日曜日

 当社の例祭は毎年5月の第3金曜日から3日間に渡って行われます。土曜日午前中に例祭祭典が斎行され、さらに土曜日夕刻には本社神輿渡御がおこなわれて各町を巡幸します。(写真をクリックすると拡大してご覧になれます)

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