吉原神社のご紹介
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御祭神

 吉原神社は、かつて吉原遊郭にお祀りされていた五つの稲荷神社と遊郭に隣接する吉原弁財天を合祀した神社です。五つの稲荷神社とは玄徳(よしとく)稲荷社、明石(あかし)稲荷社、開運(かいうん)稲荷社、榎本(えのもと)稲荷社、九郎助(くろすけ)稲荷社の五社で、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を御祭神としています。
 また吉原弁財天の御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、吉原神社にお祀りされていると共に、現在でも本宮が大切にお祀りされていて信仰が続いています。

倉稲魂命

 五穀豊穣をつかさどる神様で、お稲荷さんと呼ばれて親しまれています。もともと「稲荷」とは「稲が成る」つまり稲の生育を意味し、古くから家内安全・商売繁盛の神様として信仰されています。さらに当社の倉稲魂命はかつて吉原遊郭の遊女等による信仰を集めたことから現在でも女性の様々な願いを叶えてくださることで知られています。

市杵島姫命

 広く開運・財運・芸能上達などの恵みを与えてくださる神様で、さらに当社の市杵島姫命はかつて吉原遊郭の遊女等による信仰を集めたことから現在でも女性の様々な願いを叶えてくださることで知られています。弁天様としても広く親しまれている神様です。

御由緒

 当社は吉原遊郭とともに歩んできた神社です。吉原遊郭は元和3年(1617)、幕府の許可を得て庄司甚右衛門が江戸市中に散在していた遊女屋を日本橋葺屋町(ふきやちょう)の東隣(現在の日本橋人形町周辺)に集めたことにはじまります。この地には葦(よし)が生い茂っており、そこから「葦原」、転じて「吉原」と命名されました。しかし次第に吉原が江戸の中心地になってしまったため、明暦3年(1655)に現在地である千束村へ移転となりました。以後、日本橋葺屋町付近にあった頃の吉原を「元吉原」、移転後の吉原を「新吉原」といいます。
 この「新吉原」には廓の守護神として五つの稲荷社が存在しました。吉原の入口である大門(おおもん)の手前に「玄徳(よしとく)稲荷社(吉徳稲荷社)」、さらに廓内の四隅には「榎本稲荷社」「明石稲荷社」「開運稲荷社」「九郎助稲荷社」がお祀りされていました。
 その後明治5年に、これら五つの稲荷社が合祀され、総称して吉原神社と名付けられました。当初は玄徳稲荷社旧地にお祀りされていましたが、関東大震災にて焼失。震災後は水道尻付近の仮社殿にてお祀りしていましたが、昭和9年に現在地へ新社殿を造営、そのさい新吉原隣接の花園池に鎮座する吉原弁財天も合祀しました。その後昭和20年の東京大空襲で惜しくも焼失しますが、昭和43年に現社殿が造営されて現在に至ります。

下記は『新吉原之図』(国立国会図書館蔵)に見る新吉原。入口と四隅に稲荷社が祀られていました。
 玄徳稲荷社   榎本稲荷社   明石稲荷社   開運稲荷社   九郎助稲荷社
『今戸箕輪浅草絵図』
祭礼

毎年5月第3金・土・日曜日

 当社の例祭は毎年5月の第3金曜日から3日間に渡って行われます。土曜日午前中に例祭祭典が斎行され、さらに土曜日夕刻には各町合同による神輿渡御がおこなわれて各町を巡幸します。(写真をクリックすると拡大してご覧になれます)

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